2人の読みは当たりました。
発売した78年の暮れまでに7万2000本を出荷。
以後は天井知らずの伸びを続けて、83年には200万本、84年には400万本、85年には800万本と倍々ゲームで増え続けました。
売り上げも1000万ドルを突破していました。
たしかに時代が味方していましたが、2人のチャレンジ精神が何といっても大きかったのです。
マーケティングにかけては世界有数のコカ・コーラとペプシ・コーラが君臨するソ7ドリンク業界に・たった2万ドルの資本で参入するなんて、なみの精神の持ち主には考えられません。
「もっと年輩でビジネス経験の豊かな人たちだったら、けっして私たちのようにはやらなかっただろう。大企業にアイデアを売るのが、せいぜいだったのでは」とコニーも言っていあたそうです。
あと何年かで知名度でも企業規模でもカナダ・ドライに追いつくのが、彼女たちの目標でした。
★アメリカン・ナチュラル・ビバレッジ社
ソーホーはニューヨーク市マンハッタンの先端的なアーチストが集まる地区です。
ヘルシーで時代の先端を行くソフトドリンクにはぴったりのネーミングでした。
ラベルとパッケージのデザインも明るくポップ調、レコードのジャケットを思わせます。
「ユニークでフレッシュな味には、同じくらいユニークでフレッシュな装いが必要だった」のです。
★アメリカン・ナチュラル・ビバレッジ社
ソフィアは、インディアンの居留地で生活するかと思えば、メキシコへ足を伸ばして帆船づくりに参加したり、アメリカへ戻ってくると一転して企業家に変身、ささやかながら建設会社を設立したりもしました。
実務のほうは別な建設会社を退職したベテランに手伝ってもらい、対外的には彼女は社長秘書ということにしました。
「入札や契約のときなど、まだ10代の女の子が社長だと名乗っても相手にされないから」でした。
ソフィアはそんな経験を自伝『70年代の少女の遍歴』にまとめ、20歳のときに出版しています。
その印税1万ドルが、ソフィアの企業家としての元手になりました。
彼女が1万ドル。
友人で3歳年長のコニー・ベストが1万ドル。
あわせて2万ドルで「ソーホー・ナチュラル・ソーダ」の製造販売に乗り出したのです。
★アメリカン・ナチュラル・ビバレッジ社
ソフィア・コリアーは考えました。
健康によくて味もよければ、間違いなく売れるのに・・・と。
今でこそ大手メーカーもこぞって果汁入りソーダを売り出しているが、当時はどこのスーパーマーケットに行っても天然果汁のソーダにはお目にかかれなかったのです。
ソフィアの経歴は変わっています。
ふつうの人より早く16歳で高校を卒業すると、次々と未知の世界に飛び込んでいったそうでうす。